国家設定など。

エチオピア帝国
ኢትዮጵያ እና የአረብ ኢምፓየር
国の標語:あらゆる人よ、幸福であれ(アムハラ語;ሁሉም ሰዎች ደስተኛ ይሁኑ アラビア語;كن سعيدا جميعا)
国歌:制定なし。即位のたびに作成される皇帝賛歌が実質的な国歌。


国旗


国章
地図
皇帝アムハ・セラシエ
公用語アムハラ語、アラビア語
イデオロギー議会帝政
政体君主制
経済体制自由主義経済
首都アジス・アベバ
宗教ユダヤ教、イスラーム教、キリスト教、仏教など
帝国宰相メンギスツ・ハイレ・マリアム
帝国議会議長アマン・アンドム
帝国参議院議長アリー・アブドッラー・サーレハ
帝国最高裁判所長官ムハマド・アルマルスーム
人口5億人(自国民4.4億人、他国民0.6億人)
選挙帝国議会は6年に1度、帝国参議院は4年に1度(半数)
通貨ディナール
GDP未定
工業力大規模
次の帝国議会議員選挙1986年4月
次の帝国参議院議員選挙1986年10月
国家方針平和主義・民主主義
核兵器の保有はい
核兵器の保有数非公表

歴史

プント国

 プント国は南アラビア西岸とソマリ半島北東に跨って栄えた古代エジプトの主要貿易相手国の一つ。金、香料、アフリカン・ブラックウッド、コクタン、象牙、奴隷、野生動物などをエジプトに輸出していた。当時、プントは「神の国 (Ta netjer)」と呼ばれていた。紀元前26世紀エジプト第4王朝のクフ王の時代にプント王国から黄金がもたらされたと記述がある。エジプトとの交易はその後も続いたが、紀元前11世紀にエジプト第20王朝が終わると、エジプトとの交易は行われなくなる。

シバ王国

 いつ頃シバ王国が建国されたかは定かではないが、現在確認される最も古い王はシバの女王である。シバの女王についてもっとも古い記録は『旧約聖書』「列王記上」10章および「歴代誌下」9章にみえる。それによると、「シバの女王はソロモンの知恵の噂を伝え聞くと、多くの随員を伴って、香料、大量の金、宝石などの贈り物をラクダで運び、難問を以って彼を試そうとエルサレムを訪問した。女王はソロモンに数々の質問を浴びせるが、ソロモンに答えられないことは何も無かった。また、その宮殿、食卓の料理、居並ぶ臣下、神殿の燔祭などの様子を目の当たりにした女王は感嘆し、ソロモンが仕える神を称え、金200キカル(1キカルは約34.2kgなので6.84t)と非常に多くの香料や宝石を贈った。ソロモンも女王に対して贈り物をしたほか、彼女の望むものを与えた。こうして女王一行は故国に帰還した。」という内容である。この際シバの女王はソロモンと子をなしたといわれ、その血筋は現在の帝室にまで及ぶ。シバの女王がソロモンとの間になした子はバイナ・レフケムと名付けられた。ソロモン王には2000人をはるかに超える子供がいたとされるが、殊にバイナ・レフケムを寵愛し、イスラエル王国の王位継承を求めた。しかし彼は王国の腐敗を見抜き王位継承を拒否すると、ソロモン王は国内の貴顕を集めエチオピアに第二のエルサレムの建設を行う計画を立てた。バイナ・レフケムは新イスラエルの王に即位し、祖父の名を取ってダビデと命名され律法の知識を授けられた。しかし、新王に随行することになった最高神官の息子アザールヤースは突然の事態に不満を持ち、密かに十戒を納めた「聖櫃」を偽装してエチオピアに持っていってしまう。聖櫃は神の御座所でもあったため、この事件は神がエルサレムから離れてエチオピアへ移ることを意味した。ソロモンはその後、神に見放されたことから知恵を失い、女色に溺れ、ついには偶像崇拝に陥りエルサレムは衰退していったという。一方、帰国した新王ダビデはエチオピア首都ダブラ・マケダ(マケダ山の意。なお、マケダはシバの女王の名である)に到着すると女王から改めて王位を譲られ、これによりイスラエル王家の血を引く新王朝が誕生した。

エチオピア帝国

 新王ダビデはメネリクと改名し、ソロモン王朝を開いた。メネリク一世は長寿だったといわれ、127歳まで生きた。神官勢力が政治に深くかかわるようになったことを受けて、第12代皇帝の摂政であるアイバー(አይቫር)は首都をゴンダールに移した。しかしアイバーの死後首都は再びダブラ・マケダに戻された。320年になると皇帝エザナはアラビア半島に進出していたササン朝に対抗するためキリスト教に改宗し、エチオピア正教会が生まれた。これとともに首都がメケレに移された。5世紀には旧首都ダブラ・マケダが破壊され、キリスト教はエチオピアにおいて最盛期を迎えた。しかし6世紀にはいるとユダヤ教が勢力を吹き返し、キリスト教は迫害された。首都はディレ・ダワに移され、ソマリア地方へと進出していった。7世紀にはイスラーム勢力の伸長によりアラビア半島の領土を失陥した。現在のエチオピア地方、ソマリア地方を制圧した第57代皇帝デグナ・ジャン(ዴግና ዣን)はイスラーム勢力の去ったアラビア半島の再征服に乗り出し、現在のマアリブまでを占領して前線基地を築いた。第60代皇帝マラ・テクレ・ハイマート(ማራ ተክለ ሀይማት)は北に勢力を伸長していたファーティマ朝と積極的に交易を行い、自身もムスリムとなり、首都をマアリブに移した。ジハードと称しメッカ、メディナを掌握したのちアラビア半島全域を掌中に収め、アッバース朝と対立した。タブークの戦いでオスマン帝国に敗れ一時侵略されたが、17世紀に失地を奪還した。18世紀の第122代皇帝イヤス3世(እያስ III)は教育に力を入れ、学術都市ティナティや学園都市ディラーサを建設した。

帝政改革

 第129代皇帝テオドロス2世はカルドー勅令を発布し、近代化改革を行った。セベタ郊外に新たな都を建設し、アジス・アベバ(አዲስ አበባ)と名付けた。皇帝は無宗教であることを宣言、帝室無宗教の原則が生まれた。それとともに行政制度を整え、国会を開いた。また近衛師団を組織し、外務・内務・財務の3省を新設して政府機構の近代化を図り、翻訳局を設置して留学生を広く受け入れた。さらに警察を組織して帝国内の半独立勢力を抑え込むなどして中央支配を再確立した。また、増え始めた人口に対応するためエチオピア本土を農業特区に指定、すべての農業の国営化を行い高い食料自給率を確保した。これに対してヨーロッパ各国は帝国がさらに強大になることを恐れオスマン帝国を積極的に支援したが、帝国は精強なる軍隊を用いてオスマン帝国軍を撃滅した。

100年内戦

 しかし急速な改革に対して1865年にアブダビ、シャールジャ、ドバイなどアラビア海沿岸部の都市が次々と反乱を起こし、アル・アインを中心としてアラビア連盟を組織した。テオドロス2世は何度も近代化された軍隊を送ったが、ヨーロッパ各国に支援されたアラビア連盟に敗退を続けた。これを初期内乱という。初期内乱ではオスマン帝国が正式にエチオピア帝国との国交を破棄し、宣戦布告を行った。テオドロス2世は郷土防衛軍をアラビア帝国軍に再編し、より強力な戦力でオスマン帝国戦線にあてた。しかしアラビア半島で深刻な水不足に陥り、オスマン帝国軍に敗退を続けた。また当初よりオスマン帝国に対する防衛線を築く計画があったが、着工したのは中期内乱後であった(サムソン線)。テオドロス2世はアラビア連盟に勝利することなく崩御し、ギヨルギス2世が即位した。ここからを中期内乱という。ギヨルギス2世は宰相テッセマ・ナデューに技術都市ブライダー(بريدة)を建設させ、軍事技術の向上を図った。この時、急速な改革に反対した保守層が市民の支持を背景に反乱を計画したが、エチオピア国家警察の働きにより一斉検挙された(アベベの陰謀)。その後、逮捕された保守層はすべて取り調べ中に獄中で不審死を遂げた。ギヨルギス2世はアラビア連盟と停戦交渉を開始し、同時にムハンマド・イブン・ハンファドをアラビア帝国軍元帥に任命した。ムハンマド・イブン・ハンファドは精強な騎兵部隊を機動的に用い、オスマン帝国軍を翻弄した。新たなるドクトリンを実施し、航空部隊と地上部隊を連携させてオスマン帝国軍を国境以北まで一時的に押し返すまでに至った。アラビア帝国軍の快進撃にオスマン帝国は恐れをなし白紙和平を申し入れた。前線基地の建設が追い付かず補給線が伸び切っていたアラビア帝国軍はこれを受諾、国境線の相互承認と内戦の不介入を約束させた停戦条約が締結された。ここまでを中期内乱という。ギヨルギス2世の跡を継いだメネリク2世は刷新された軍隊でアラビア連盟軍に勝利し、その大部分の領土を掌握した。しかし、カスィーム州知事アブドゥルアズィーズ・イブン・サウードが反乱を起こし、リヤドを攻略した。アラビア連盟はそれに呼応してアラビア半島東南部を制圧した。アブドゥルアズィーズはサウード朝アラブ、通称サウジアラビアの建国を宣言したが、他国からの承認を得られなかった。メネリク2世の跡を継いだ女王ザウディトゥは技術都市ブライダーを奪還し、摂政兼皇太子のラス・タファリ・マコンネンに新兵器の製造を命じた。ザウディトゥが14年の短い統治を終えるとラス・タファリ・マコンネンはハイレ・セラシエを名乗り反乱軍の徹底的征伐を掲げた。皇太子時代に開発した戦略爆撃機による空爆や縦深戦術を多用することにより電撃的にサウジアラビアの首都リヤドを攻略した。それから10年ほど戦線は膠着していたが、皇帝ハイレ・セラシエはドイツからアインシュタインの高弟を招致するなどして、独自に核融合反応を用いた兵器を開発した。見せしめとしてリヤドで核実験を行い一帯は灰燼に帰した。アブドゥルアズィーズは恐れをなして降伏し、サウジアラビア全土が再征服された。これを後期内乱という。アラビア連盟は白紙和平を提案したが皇帝ハイレ・セラシエはこれを拒否、新式海軍で連盟艦隊を撃破し、1974年には連盟征服地の奪還に成功した(100年内戦の終結)。これを終期内乱という。各都市の主要機能を内陸部に移し、アル・アインを中心とした旧連盟構成都市には特別監査所がおかれている。皇帝ハイレ・セラシエは1980年4月に崩御なされ、皇太子アスファ・ウォッセン・タファリ殿下が皇帝アムハ・セラシエ陛下として即位なされた。

政治

皇帝

アムハ・セラシエ

宰相

メンギスツ・ハイレ・マリアム

帝国議会

役職氏名
帝国議会議長アマン・アンドム
帝国議会副議長テフェリ・バンテ
帝国議会書記アフマド・ビン・フセイン・アル=ガシュミー
監査委員ハイダル・アブー・バクル・アッタース
常任委員長
特別委員長
情報監視審査委員長
事務総長
帝国議会はエチオピア帝国の下院に当たる。議員数は未定で、6年に一度の総選挙、議長による解散、あるいは皇帝の崩御の際に選出が行われる。大選挙区制。なお帝国に政党制度はなく、代議士による集会のみ許可されている。その集会は実質的な政党として機能しているが、助成金などはない。

帝国参議院

役職氏名
帝国参議院議長アリー・サーリム・アル=ベイド
帝国参議院副議長アブドゥルファタハ・イスマーイール
帝国参議院書記オスマン・サッベ
監査委員アーメッド・ムハンマド・ナセル
常任委員長
特別委員長
情報監視審査委員長
事務総長
帝国参議院はエチオピア帝国の上院に当たる。議員数は未定で、4年に一度の半数選挙、議長による解散、あるいは皇帝崩御の2年後に選出が行われる。小選挙区制。

帝国枢密院

帝国枢密院はエチオピア帝国の行政府にあたる。宰相の下に各行政長官が並ぶ。

経済

 帝国はバブ・エル・マンデブ海峡での航行権を独占的に有し、莫大な利益を上げている。また、世界の主要産油国の一つであり、石油輸出においても膨大な利益を上げている。

完全自由主義の光と闇

 エチオピア帝国の経済指針は完全自由主義、恩恵救済である。機会均等の下にある自由主義社会における敗者は歴代皇帝陛下の恩情により設立された慈愛院により労働先を斡旋される。この制度によりエチオピア帝国の主要都市は大発展を遂げ、世界有数の経済都市を生んだ。しかし慈愛院の斡旋する労働は奴隷的過酷さであり、貧困から抜け出せないものがほとんどである。彼らには自立する金銭的余裕も反抗する心理的余裕もなく、日々闇の中で繁栄を支えて生きている、、、

主要産業

 アフリカ本土では伝統的にコーヒー豆の栽培が盛んである。内戦以来、精密機械、重工業が盛んとなりつつある。特に精密機械産業で巨大コンツェルンを形成したTME(የኢትዮጵያ ትክክለኛነት ማሽን)が本社を置くラス・アノドは首都アジス・アベバに次ぐ人口を誇る。アラビア半島では石油産出業に次いで技術都市ブライダーを中心に精密機械産業が盛んである。相次ぐ内乱で産業は疲弊したが、帝国軍に協力したSAA(شركة النفط العربية)が急速にその存在感を強め、帝国内の石油産業と軽工業を牛耳っている。アフリカ本土、アラビア半島ともに内戦特需により様々な企業が急成長を遂げる一方で数多の老舗企業が倒産していった。また、国内では軍産複合体の肥大化に警鐘を鳴らす有識者もいる。

主要企業

 エチオピア帝国の経済は五大財閥と呼ばれる大企業群と一部の国営企業に牛耳られていると言って良いだろう。
TME(エチオピア総合精密機器)
 ラス・アノドに本社を置くエチオピア帝国の大企業。精密機械産業において帝国内各地に独占的シェアを誇り、エチオピア帝国の発展に多大な功績がある。TME銀行、TME物産会社、TME保険生命など、数多くの参加企業を持ち、その名を帝国中にとどろかせている。内戦時から精密機械部門を立ち上げ、その後飛躍的に成長した。
SAA(アラブ石油会社)
 アル・ガゼルに本社を置くエチオピア帝国の大企業。技術都市ブライダーと連携し高度な技術を使った軍事機器と、重工業において帝国内各地にシェアを誇る。SAA銀行、SAA商事、SAA重工業など、コンツェルンを形成している。内戦時に重工業へと主眼を移し、莫大な利益を上げた。内戦中にその功績を讃えられ技術都市ブライダーとの連携を許可された。国からの補助金で特異的に成り立っている核融合部門を持つ。現統帥はカッサ・アスラサ。
ガゼータ
 ディレ・ダワに本社を置くエチオピア帝国の大企業。新聞部門を基軸として、教育機関に多大な貢献あり。鉱山部門により大きく伸長した。コンビニエンスストアの最大手であり、コンツェルンを形成している。
エチオピア郵船
 ジャジーラ・マイユーンに本社を置くエチオピアの大企業。バブ・エル・マンデブ海峡での海運業を主軸に発達し、現在ペルシャ湾、アラビア海をその勢力下に収めている。エチオピア海上生命などを傘下に収める。帝国海軍の軍備を取り扱い、帝国海軍との癒着が指摘されている。
IB
 五大財閥のうち唯一首都アジス・アベバに本社を置く大企業。帝国の委託を受け帝国全土に鉄道網を敷いた。内戦時の貢献特に著しく、30年間首都に本社を置くことを許された。帝国陸軍との癒着が指摘されるが、定かではない。帝国鉄道とも。

人口爆発

 高度に発展した経済の歴史は人口爆発を引き起こした。人々は子を育てる金銭を考えることなく子供を際限なく作り、国家はそれに十二分に応えてきた。出産祝い金と3歳までの子育て費負担、子育て感謝金(3歳の児童を引き取る時、子育て費の負担とは別に支払われる)は子供を育てるリスクを極限まで下げた。また、医療機関の統合と産婦人医の免許の新設により出産のハードルも下がった。その結果内戦初期に人口爆発が起こり、今も続いている。合計特殊出生率は5の大台を上回り、広大なる国土を埋め尽くさんとしている。ここ100年で人口は10倍となった。壮年人口(45歳を超える人口)は全体の2割、老年人口(65歳を超える)は全体の1割以下と、典型的な富士山型の人口ピラミッドを形成している。

社会

教育

 エチオピア帝国は能力主義を謳っており、3歳に達した子供は児童院に引き取られ、養育される。同時に姓を名乗ることが禁止され、自分の姓も教えられない。すべての子供が同じ環境下で生活し、12歳になるまで幼年学校で寮生活を送る。幼年学校を卒業すると郊外に一軒家が贈られ、高等学校へ進学する。高等学校を卒業し義務教育課程を終えた者には初めて親の顔と名前、自分の姓が教えられ、親との正式な面会が許可される。これには皇太子も例外ではない。20歳になり高等学校を卒業した者は2年間の兵役を終え、希望した者には4年制大学への進級が許可される。原則として親から子への金銭譲渡は禁止されているため、エチオピア帝国では奨学金制度が著しく発達している。企業による奨学金を受け取れなかったものは国家に申請し、奨学金の融資を受ける。特に優秀な成績を残し学問への意欲が高いもののみ大学院への進学は許される。また、エチオピア帝国はその高度な教育で有名で、学術都市ティナティや学園都市ディラーサを中心に他国から教育を受けに来る者も多い。公用語であるアムハラ語とアラビア語が必修科目として教育され、英語、中国語、日本語、スペイン語、ロシア語、中国語、ウルドゥー語、ヒンディー語の中から一つを外国語として学ぶ。
児童院
 生まれによる差別根絶に向けて作られた制度。3歳に達した児童を引き取り、教育を施す。幼年学校卒業とともに児童院も卒院する。集団生活を学ぶ場としても機能している。1区に1院存在し、院長の管轄下に置かれる。院長は院内においてのみ絶大な権力を持つが、半年に一度監察官が訪れ、稀に国家警察の巡視が入る。過酷な競争率を誇る選抜試験と院長による面接を経て看護員になれる。看護員は名誉と高待遇、高給が約束されるため、常に不動の人気を誇る。

宗教

 エチオピア帝国では歴史的にユダヤ教、キリスト教、イスラーム教が盛んであるが、国教はない。皇帝は代々無宗教であり、すべての宗教の許容を宣言している。そのため、皇太子が何かの宗教に入信していたことが発覚した場合、即位までに棄教させられる。

移民

 エチオピア帝国は移民に寛容で、すべての国家からの移民を受け入れている。彼らには都市郊外に集合住宅が用意され、就業の支援や語学の支援が行われる。

言語

 エチオピア帝国の公用語はアムハラ語とアラビア語だが、英語、中国語、日本語、スペイン語、ロシア語、中国語、ウルドゥー語、ヒンディー語は通じることが多い。

帝室

 エチオピア帝国の帝室はヘブライ人の王ソロモンの血を引く万世一系の神聖にして不可侵な血筋である。主に皇帝および内廷皇族と、内廷外皇族を総称して皇族と呼ぶ。帝室の身分は、エチオピア帝室法度に定める皇帝(女帝)、皇帝(女帝)の配偶者である皇后(皇婿)、先代皇帝(女帝)である太上皇、先代皇帝(女帝)の配偶者である太上皇后(太上皇婿)、先々代皇帝(女帝)である無上皇、先々代皇帝(女帝)の配偶者である無上皇太皇后(無上皇太皇婿)。また、成人した帝室の血を引く者として皇太子および皇太子妃、皇太孫および皇太孫妃、生まれながらの皇族男子たる親王、生まれながらの皇族女子である内親王がある。ただし成人までに犯罪歴があると帝室の血を引いてあったとしても皇室に入ることは許されない。一般人は皇族との婚姻により皇族になることができる。また、皇帝(女帝)の卑属である皇族はその意志により、あるいはやむを得ない事情により帝室会議の議決を経て皇族の身分を離脱できる。あるいは皇帝の宣告により皇族の身分を剥奪される。これは結婚時に多く行われる。

皇帝

 皇帝は軍事組織及び準軍事組織の統帥権を持ち、宰相の任免権、国会の解散権、裁判の開催・公開に関する諸権利を独占する。しかし国会の解散権が行使されたことは一度もなく、民主制が維持されている。

宰相

 宰相は皇帝にのみ責に任じ、各国務長官に絶対的な任免権を持つ。皇帝の権限である法律の公布、執行の監督、勅令および処分について責任を負う。宰相選挙は皇帝が必要と判断した時に国会で2/3以上の賛成を得て行われる。または国会が2/3以上の賛成を持って必要と判断した際に国民投票での半数以上の賛成を得て皇帝が許可する。

国会

 国会は皇帝にのみ責に任じ、皇帝の権限である法律の制定、勅令の協賛について責任を負う。詳しくは帝国議会、帝国参議院の項目を参照すべし。

裁判所

 裁判所は皇帝にのみ責に任じ、皇帝の権限である法律に基づいた処分、執行の監視、皇帝の処分の協賛について責任を負う。帝国最高裁判所と下級審からなる三審制を採っており、未成年者には特に(未成年者)特別裁判所が開かれる。

外交

エチオピア帝国は非同盟、平和主義を謳っている。
 第一の仮想敵国として警戒している。言論弾圧をはじめとした人権侵害や、核軍拡の脅威に最大限警戒し、我が国の安全保障能力を高めている。
 平和・中立国として大変良い評価をしている。

正規軍事組織

 エチオピア帝国は失業者への労働斡旋先として軍への就労を積極的に奨励しているため、エチオピア帝国軍は膨大で精強である。1760万人が徴兵されるが、別に職業軍人も多い。また、軍隊には国家予算の4割を注ぎ込んであり、企業からの資金融資を多大に受けている。

徴兵制度

 高等学校を卒業した者は2年間の兵役義務を負う。その数は実に人口の4%に当たり、およそ1760万人である。高等学校の成績により振り分けられる部隊が違うが、その詳細は明らかでない。兵役期間満了後も有事に備え満45歳までは予備役に登録されるが、軍隊に残留することも可能であり、下士官や士官に昇進することができる。予備役は2億5千万を超える。

慈愛院

 失職した者は慈愛院により就職先を斡旋されるが、その際に軍隊を斡旋されるものも多い。軍隊は階級が低いと低収入であるが、飢えることはないからである。その数は人口の1%を超え、およそ700万人である。

軍学校

 最難関の軍学校であるディラーサ帝立軍学校を始めとした数々の軍学校が存在し、数多くの将校を養成している。

エチオピア帝国陸軍 

エチオピア帝国海軍

エチオピア帝国空軍

エチオピア帝国軍事総省

準軍事組織

近衛隊

 近衛は陸海空軍にある近衛部隊により構成される。

エチオピア国家警察

エチオピア情報機関

エチオピア帝国沿岸警備隊

治安

 エチオピア帝国の治安はおおむね良いが、稀に大都市にはスラム街がある。

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